なぜ日本人がフィジーで数学教師をするのか?

日本は、例えばPISA調査の報告などを見ても、いわゆる学力低下が懸念されている。思考力や表現力などで、確かに下がっていることはさまざまな点で感じることは多いでしょう。
 しかし、数学教育に関しては私個人の意見だが、決してレベルが低いとか下がっている、という事は感じない。いや、むしろ高いと思う。例えば、算数にしても数学にしても、日本の教科書はすばらしい。一字一句まで気配りされており無駄が全くない。教科書だけでも充分学習できるようになっている。(フィジーでのテキストは、独学不可能)また、いわゆる指導書もあり、語弊をおそれず言うならば、どの先生が指導しても、ある程度のレベル(水準)までは、必ず指導することができるのである。どの日本人も、一定水準までのレベルまでは、必ず教えてもらうことができる。
 また、日本で伝統的に行われている授業研究という手法をはじめ、常に数学教育が研究され、先進的である。

 フィジーは(他の多くの発展途上国も同じ状況だろうが)、いわゆる暗記形教育である。「数学を考える」「数学を使って考える」ではなく、「数学を覚える」「問題を覚える」である。これでは、何故数学を勉 強する必要があるのか、という学習の意義がない。現在指導している教師も、自分がその学習方法しか知らないので、そのようにしか指導できない。

 そういったこともあり、フィジーで数学教育改善にむけたボランティア活動という取り組みをすることとなった。

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