6ヶ月目

0、要約
2年間という期間の中で、どのようなことが自分にできるのかと考えたとき、取り組みたいと思うことは様々あり、あれもこれもと欲張ってしまいそうになるのだが、実際にはそのようにいかない。例えば言葉の問題があったり、日本人とフィジー人との文化、性格、社会性の違いがあったりすると思う。私の場合は言葉の問題が大きく、言いたいことが伝えきれない、そのため何度も回数を重ねなければならない、といったことがこの半年特に大変であった。フィジーへ来て半年がたとうとしている今、これまでを振り返りそしてこれからを再度見つめ直すことができた。それは、この半年の中で自分にできたことの少なさの再認識、これからの1年6カ月の中で、あまり欲張りすぎずできることから取り組むことと、1つのことに時間をかけてじっくりと取り組んでいきたい、と思ったことである。しかし一方、この半年の間に築き上げたであろうこともある。それは、配属先での人間関係である。私の場合学校現場への配置で、人が人と接することで支援を行う、ということを考えると、関係というものが大切であることは間違いない。 生徒との関係、同僚との関係、校長、副校長との関係、それらはこの半年の間特に大切にしてきた。そして、彼らも私のことを私との関係を、大切にしてくれる。いつもたどたどしい私の英語でも授業に参加し懸命に答えてくれる生徒たち、私のことを家族の一員と言ってくれる同僚たち、そんな彼らのためにも、また今後のフィジーの数学教育のさらなる発展のためにも、感謝の気持ちを忘れずに活動にさらにあたっていきたい。

1、活動時期・活動内容
取り組んでいきたい活動は大きく3つある。1つ目は「配属先の数学教育の向上」で、これは2年間の活動の中心となるものである。向上の方法は様々あるだろうが私の場合は、学校の中で一人の教員として授業を行うことで問題点を自分自身で感じ、先生方と共感し、問題点を問題のままにしておくのではなく、意見を出し合いときにはお互いを磨き合って、先生方自身が向上していき、それが生徒たちへ還元されていく、と考えた。従って、授業を行うことと並行して校内の会議開催にも取り組んでいきたい。次の「ワークショップのサポート」は、前任者の方々が取り組んでこられており、 スタートしている。3つ目の「他校との連携」は、まだアイデア段階で何も動き出していないが、例えば、数学教育に対してともに活動しているパイロット校の関係を生かし、各学校での研究授業等から発展させ近隣の学校同士で討議や研究授業を行い、授業についてお互いの考えを深め合っていく、などを行えたらと考えている。実際に行うには問題点もあり吟味と打ち合わせが必要であるが、方法次第では良い結果をもたらし波及効果も期待できるのではないかと思う。以上が私の活動内容の三本柱である。

2、活動に向けた配属先との意見交換
当初からの配属先からの要望は、数学の授業を行うことであった。したがってそれが私の活動の中心となると考えている。それに加え、自分自身で今までの活動を振り返り、この学校(を中心にして)で取り組むことができること、取り組むことで伸長していくであろうことを活動計画として考えた。それをまとめ、カウンターパート、HODに提案し意見を求めた。彼らには肯定的に捉えていただけたけたので、協力してもらえる部分については協力を得たい、との話をした。出来上がった活動計画を校長に提出をし、理解を得た。その後、 現時点(9/20)では一度だけだが、活動計画の中に記載した校内の数学科会議を開催し、その中でこの会議の目的を数学科の先生方に話をして理解していただき、ともに取り組んでいくことの確認をした。また、校内の研究授業については10月または11月にForm5で行うことが決まった。今後は、活動計画に記載したように、この学校の数学教育向上を目指すべく校内での数学科会議の定着を図り研究授業だけではなく学力向上に向けた話し合いを取り組んでいくこと、さらに定期(ターム休み中)のワークショップ開催と他校との連携を行っていきたいと考えている。

3、配属先の組織体制や活動の方向性に変化があったか
現時点では、特に配属先の組織体制や活動の方向性の変化はない。ただ「フィジー滞在3ヶ月目」でも記したように、この学校は毎年大幅な教員の入れ替わりがなされる。来年度も同様であるように聞く。さらに残念なことに、私のカウンターパートも職を変えるか他の国(NZ)で教師をする、と言っていた。(現時点では決定していない)その時には組織体制はもちろん、私自身の活動の方向性にも少なからず変化が生じるかもしれない。

4、フィジーの人々との交流
(1)配属先等任地の人々の日本や日本人に対する意識:日本の学校では、例えば外国籍の生徒やALTの先生などが在籍していても、日本人は日本人で集まってしまい、彼らが特別な存在になってしまいがちになるが、本校の場合、昨年短期ボランティアが在籍していたことや、韓国中国籍の生徒が多数在籍していることもあり、私自身日本人として特別視されることはない。同僚たちには「私たちは家族だ」「兄弟だ」といった言葉で接してくれ、皆と一緒に、昼食はもちろん放課後ご飯を食べに行ったりする。生徒たちは東京、大阪、広島といった都市名や車の会社名などをよく知っている。8月6日に原爆の話をすると多くの生徒、先生方が知っていた。
(2)任国の人々との交流:中心が学校の同僚である。彼らには夕食やパーティーに呼ばれることが多い。その場で新たに、その先生の家族や、他の学校の先生と知り合うことができ、輪が広がっている。ある同僚の家に行った時、彼女の家族が、トンガでの海難事故を教えてくれ大変心配してくれていた。その同僚は家族にも私の話をよくしてくれているようで、 私が彼女に日本語のあいさつなどを教えたこともあり、家族も日本語であいさつをしてくれた。

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