フィジーってどんな国

○フィジーの正式名称
フィジーの正式な国名はフィジー共和国(The Republic of Fiji)です。
首都は最大の島であるビチレブ島の南東部にあるスバ(Suva)です。
「フィジー」は、現地語「VITI(ビチ)」から来ています。1779年、キャプテン・クックがトンガを発見した際、トンガ人より隣に「フィジー」という国があると聞き、これをFeejeeと書き記したのが、「フィジー」の起源となったそうです。

○位置および国土
フィジーは、日本から南へ約 7,000Kmの南太平洋のほぼ中央部。西経/東経 180度、南緯18度を中心とする、13万hの海上に散らばる330以上の島々で構成される島嶼(とうしょ)国家です。周辺には、西にバヌアツ、東にトンガ、北にツバルがあります。
総面積は1万8千平方Kmほどで、日本の四国よりやや大きいくらいです。
その地理的位置のみならず、南太平洋の民族や文化が交差する島々として「南太平洋の十字路」と呼ばれています。

最大の島は首都スバのあるビチレブ島で外周が約500km、フィジーの人口の約75%が集中しています。その他に代表的な島としては、ビチレブ島の北部に位置するフィジー第2の大きさを持つバヌアレブ島、別名ガーデン・アイランドと呼ばれ、豊かな緑に包まれたタベウニ島、スバに遷都される以前の旧首都レブカがあるオバラウ島などがあります。

○国歌:
God Bless Fiji
・・・子どもたちが歌う国歌は、とてもステキである。

○言語:
公用語は英語。フィジー語、ヒンディー語もそれぞれ使用されている。

○通貨:
フィジードル(F$)。1F$は約50円。(2010年現在)

○産業:
主な産業は、農業や観光。他にもフィジーウォーターなどの輸出品も有名である。

○宗教:
キリスト教52%、ヒンドゥー教38%、イスラム教8%、その他2%

○国花:
タンギモウジア
・・・フィジーにしかないと言われている、幻の花(らしい)。真っ赤できれいな花である。

○時差
フィジーと日本の時差は+3時間。つまりフィジーで仕事が始まる午前8時の時、日本では皆まだ寝ている早朝5時です。
しかしながら2009年からサマータイム(こちらではデイライトセービングという)が始まり、ある時期の時差が+4時間となっています。2009年は11月末から4月末まで、2010年11月末から翌3月初め、2011年は10月末から翌3月初めまででした。
なお、サマータイムは1998年から2年間実施された後、中止されていましたが、2009年から10年ぶりに再開されました。
○フィジーの人種についての概要
フィジーは先住民のフィジアンのほか、インドからの移民の子孫であるインド系、ヨーロッパ系、中国系の人々が住む多民族国家です。
2007 年のフィジー政府人口調査の統計によれば、フィジー諸島共和国の人口は827,900人で、構成は、フィジー系(57%)、インド系(38%)、ヨーロッパ人(0.4%)、混血ヨーロッパ人(1.3%)、中国人(0.6%)、その他(3.5%)、となっています。
※フィジー統計局データによる
○フィジー系住民(フィジアン)について
太平洋の島々の民族は大きく分けてその特徴から3つに分けることが出来ます。そのひとつはポリネシア人です。大柄で肥満、頭髪は直毛で長いのが特徴です。ハワイとニュージーランド、イースター島を結ぶ三角形の内側の地域に広がっています。メラネシア人は大柄で、肌の色は黒く、頭髪は縮れ毛で短いのが特徴です。アフリカの民族に似ています。彼らはパプアニューギニア、ソロモン諸島を中心に広がっています。ミクロネシア人は赤道より北の小さい島々、ミクロネシア連邦やキリバスなどに住んでいます。現在のフィジー系フィジー人はこの3つの民族が微妙に交じり合って形成されています。
○インド系住民(インディアン)について
植民地時代の 1879 年、インド人がさとうきびプランテーションの年季契約労働者としてフィジーに初めて入植しました。1916 年に中止になるまでの間、約6万人のインド人がフィジーにやってきました。彼らは5年契約で労働に従事していましたが、さらに5年働けば帰国の旅費を支給されました。その後にフィジーに定住する権利も認められていたため、彼らのうち約4万人が、期限後も借地農としてフィジーに残留する道を選びました。
一方で、1920 年代以降、インド人労働者を対象にした商売を目的としたインド人が自由移民として流入し始め、フィジー在住インド人はその人口を増やしていきました。1946 年には、フィジアンの人口を超えましたが、1980年代よりインディアンの再移住(ニュージランド等)が盛んになったため、人口が減少傾向にあります。人口構成も一時は全人口の半分以上を占めましたが、現在は4割弱となっています。
理由はいくつかあると思われますが、フィジーではインディアンは土地が所有できず、また、クーデターの際には身体の安全が危ぶまれることが挙げられます。一方で、彼らは英語が話せ、ニュージランド等の英語圏の国々でフィジーより高い賃金で働くことができることも大きな要因と思われます。

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