フィジーの数学レベル
フィジーでは、教科書は無償ではありません。郵便局や本屋で売られています。これが結構、高い。(1000円以上) 全教科のテキストを買える家庭はほとんど無いのではないだろうか。そこでどうするかというと、学校で(お金を取って)貸し出す、という方式を取っています。
大きさは概ねA4サイズ。しかも分厚い!まるで枕です。もちろんカラー印刷ではありません。フォントは気を配っているものとそうではないものがあり、後者はどれが問題でどれが解説か、など分かりにくいです。
各学年、2種類のテキストがあるようです。各学校でどちらかを採用しています。参考書や問題集はありません。勉強したくても、なかなか独学する機会がありません。そんなこともあり、一年目に、ボランティア6人で数学問題集を作りました。
以前にカリキュラムについて少し述べましたが、教科書にも問題点はあります。私が思う一番の問題点は、「間違いが書かれている」ということでしょう。答えが間違っている、などは序の口で(まぁ日本でも問題集などでたまにありますが)、例えば平方根や絶対値の分野で間違いではなくウソが書かれています。(何度も教育省へ提案しました・・・)
図も変なものが多く(例えば、鋭角で描かれているのに、188°、円に内接する四角形の対角の和が180°にならない、などなど)、正しく見る感覚が養われにくいと感じました。もちろん、正確に描く必要はありません。しかし、定義や性質を無視したものはいかがなものでしょうか。
フィジーでは、タクシーの運転手を除き多くの方々が、計算が苦手です。その一因として、電卓の使用が認められていることが挙げられると思います。むしろ教科書のほとんどの問題が、電卓を使わなければ答えが出ないような問題です。例えば三角関数では、sinθ=23°でθを、電卓を使って求めなければならないです。計算問題でも多くは無理数になるような問題。これでは、数学を使って思考力を身に付ける、などは程遠い・・・
と、なんか、文句のようなコメントばかりになってしまいしたが、決してそんなことばかりではありません。
ところで、数学については、「四則計算だけで十分だ!」と、おっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。しかし私個人は、数学は日々の生活にとても有意義な学問だと考えています。例えば、人に論理的に説明をする際、国語科の能力も使いますが数学の論証の分野も知らず知らずに使用していることでしょう。(他の教科の能力も使っているはずです。)数学だけを使って何かをする、というよりかは、様々な教科や、教科だけではなく部活動や習い事、友達との何気ない中での会話など、その人を取り巻く全てのことが少しずつ絡み合い、横に繋がっていることで、偏らない「人間力」を築き上げていっていることでしょう。
フィジーは、正直なところ、数学だけを見ると学力は高くないです。しかし、フィジーの学校教育で、私は、本当に素晴らしい面を発見することができました。