フィジーと日本との教育の違い

今、日本における教育課題は沢山ある。学力低下や生活習慣の崩れ、言語活動の充実など、そのすべてが大きな課題であろう。私はそのなかでも、豊かな心を育む、特に、いじめ、が教育現場、いや日本において最も大きな問題/課題の一つであると思う。本当に残念なことだが、日本では、学校だけではなく、職場や地域社会のなかでも大小さまざまなものが存在している、と言われている。本当に嘆かわしい由々しき問題である。私は悲しい。
 私がフィジーの教育に携って一番驚いたことは、フィジーにはいじめが無い、ということだ。これは私にとって、衝撃でもあった。
 フィジーでは、異年齢の生徒が、極端な場合例えば15歳と19歳が同じ教室で勉強する。また、留年が結構あるので、一つ下の学年と次の年に同学年になることもある。それでも、まったく関係なく仲良く過ごす。男女も関係ない。障害も関係ない。そもそも仲が良すぎて喧しいくらいだ。なぜなんだろう?とずっと考えた。
 しかし、これ!という答えはわからなかった。文化の違いか、宗教か、敬う心が強いからか。
 私なりに導き出したことは、フィジーでは周りと自分をあまり比べないが、日本では比べ過ぎるからではないか、ということだ。もちろん、例えば数学のテストをすると、他の生徒の点数も気にはなる。しかし、良い点数でも悪い点数でも隠すことは無い。例え数学が悪くても「彼はラグビーが上手だ」と生徒たちが他の生徒を認めている。そう、自分の核となるものを各自が持っていて、それを皆が認めている。日本ではどうだろうか。
 もちろん、競争は大切だ。切磋琢磨、という言葉は教育の現場で思いもよらない効果を生み出すことがある。しかし、自分が伸びようとするのではなく、ときに足を引っ張って相手を下げることに全力が注がれる場面を見ることがある。そこから、日本特有のいじめが生まれるのではないだろうか?焼きもちではなく妬み。
 日本は、学力向上を目指し世界のトップを目指しているが、それはそれで素晴らしいことだ。数学教育についてはフィジーより優れている。これは間違いない。しかし、豊かな心に関しては優れているかどうかは分からない。フィジーは純粋で素晴らしい。手遅れにならないうちに、豊かな心の育成に本気で取り掛かっていかなければならない。学校だけではなく日本全体が。私はそう思う。

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